「半年間に及ぶウクライナでの戦争で、8名のジャーナリストが死亡」国境なき記者団が報告

エフゲニー、ブレント、マクシム、ピエール、オレクサンドラ、オクサナ、マンタス、フレデリック――女性2名、男性6名、合わせて8名のジャーナリストたち。ロシアがウクライナへの侵攻を開始してからの6カ月間で、彼らは全員命を落とした。国境なき記者団(RSF)は彼らの死の状況を振り返り、戦争を取材しているジャーナリストの殺害は戦争犯罪であることを改めて指摘する。

 

2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、ジャーナリストたちは最前線に立ち続けてきた。RSFは、取材活動中の計100名以上のジャーナリストたちが標的となった46件の攻撃を記録しているが、これらは紛うことなき戦争犯罪である。上記の8名は、ロシア軍によって、またいくつかのケースでは故意に、殺害された。RSFは、国際刑事裁判所(ICC)とウクライナ検事総局に対し、6件の告訴申し立てを行っている。

 

 

  • エフゲニー・サクン氏(享年49歳)、『キーウ・ライブTV』― 3月1日死亡

 

エフゲニー・サクン氏は、現地のテレビ局『キーウ・ライブTV』に勤めるウクライナ人カメラマンであり、戦争開始から1週間後の3月1日、ロシア軍のミサイルがキーウのテレビ塔を爆撃した際に亡くなった。彼は、この戦争における取材活動中に殺害された最初のジャーナリストである。爆撃で破壊された瓦礫の中から遺体が見つかり、記者証によって身元が確認された。数日後RSFは、この攻撃および、いかなる軍事的目的にも使用されていなかった他の3つのテレビ塔への攻撃をもって国際刑事裁判所に提訴した。これらの攻撃によって、ウクライナの32のテレビチャンネルと数十に上るラジオ局が停波に追い込まれた。

 

 

  • ブレント・ルノー氏(享年50歳)、ドキュメンタリー映像作家 ― 3月13日死亡

 

ブレント・ルノー氏は米国のドキュメンタリー映像作家であり、この戦争で犠牲となった最初の外国人ジャーナリストである。3月13日、キーウ北西にある街・イルピンで車を運転中に撃たれて首の後ろに致命傷を負った。一緒にいた米国系コロンビア人ジャーナリストであるフアン・アレドンド氏も負傷し、入院した。ルノー氏は、アフガニスタンやイラクなど多くの戦場を取材し、数多くのドキュメンタリーを制作してきた。彼は、自らの意志でウクライナに赴き、ロシア軍が首都を占領しようと仕掛けてきた攻撃から逃げる市民を撮影している最中に亡くなった。

 

 

  • マクシム・レヴィン氏(享年41歳)、フォトジャーナリスト ― 3月13日死亡

 

ウクライナ人のベテラン写真記者であったマクシム・レヴィン氏は、ロシアの侵攻が始まると直ちに取材活動を開始した。彼は、フリーランスとして、大変尊敬を集めているウクライナのニュースサイト『LB.ua』や『ロイター通信』と定期的に仕事をしており、戦争中の兵士の戦闘行為及び民間人犠牲者を取材していた。彼の写真は、ドイツの『シュピーゲル』誌の表紙を飾ったほか、アメリカの『タイム』誌や『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙にも掲載された。3月13日、彼はキーウ北部で、ロシア軍の活動、及びロシア軍対ウクライナ軍の戦闘を取材中に消息を絶った。そして4月1日、彼の遺体と、当時彼と共に行動していた、兵士であり彼の友人でもあったオレクシー・チェルニショフ氏の遺体が、ハタ-マズカリエスカ村近くの森で発見された。数週間後、RSFは独占調査の過程で、この二件の殺人の現場とレヴィン氏を殺害した弾丸の一つを突き止めた。RSFが収集した情報と証拠は、ロシア兵が冷酷に彼を処刑したことを示していた。

 

 

  • ピエール・ザクジェフスキ氏(享年55歳)とオレクサンドラ・クブシノヴァ氏(享年24歳)、『フォックスニュース』― 3月15日死亡

 

3月14日、『フォックスニュース』の撮影クルーで、フランスとアイルランドの二重国籍ビデオレポーターであったピエール・ザクジェフスキ氏と、ウクライナ人のフィクサーであったオレクサンドラ・クブシノヴァ氏は、キーウ近郊の町・ホレンカで銃撃を受けた。両者ともに重傷を負い、翌日には死亡が確認された。ロンドンを拠点とする元戦場カメラマンであったザクジェフスキ氏は、30年の長きにわたって現場で活動してきた。同氏は戦場での取材に慣れており、イラク、アフガニスタン、シリアでも報道を行った。クブシノヴァ氏は、その勇気とプロ意識を賞賛された若きジャーナリストであり『フォックスニュース』のフィクサーとして1カ月近く働き、撮影隊がウクライナを回って現地で情報収集をする支援を行っていた。

 

 

  • オクサナ・バウリナ氏(享年43歳)、ロシア独立系ニュースサイト『インサイダー』― 3月23日死亡

 

オクサナ・バウリナ氏は、戦争開始当初から既にウクライナを拠点としていた数少ないロシア人ジャーナリストの一人であった。「この戦争は間違っている、この戦争は犯罪だ」――侵攻が開始された2月24日、彼女はこうツイートしている。彼女は以前、プーチン大統領の強力な政敵であるアレクセイ・ナワリヌイ氏が創設した、ロシアの反汚職団体「反汚職基金(FBK)」のプロデューサーを務めていた。なお、同団体は、ロシア政府によって過激派組織に認定されている。過去数年間にわたって、彼女はラトビアを拠点とするロシアの反体制調査報道メディア『インサイダー』の記者としてキーウで働いていた。彼女の所属報道機関によると、彼女は3月23日、爆撃されたキーウ郊外のポジール地区にあるショッピングセンターで被害を報じていた際に、「神風ドローン」によって殺された。警備のために同行していた警官2名もドローンの爆発によって重傷を負った。彼女は当時、ウクライナ軍に捕らえられたロシア兵へのインタビューを行ったばかりであり、そのインタビューはまだ発表されていなかった。

 

 

  • マンタス・クヴェダラヴィチュス氏(享年44歳)、ドキュメンタリー映画監督 ― 4月2日死亡

 

リトアニア人ドキュメンタリー映画監督であるマンタス・クヴェダラヴィチュス氏は、2016年に自身の初ドキュメンタリー作品『マウリポリス』を発表して8年の後、ロシアの侵攻開始の知らせを受けてマリウポリへと戻ってきた。そして、二度とこの港町を出ることはなかった。4月2日、彼は頭部と胸部に銃弾を受け、路上にうつ伏せに倒れているところを発見された。彼がどのような状況下で亡くなったのかは依然として不明だが、その数日前にロシア軍によって捕らえられていたことが判明している。ウクライナ国防省報道官は、ツイッターに簡略なメッセージを投稿し「ロシア占領軍は、マリウポリから脱出しようとしていたマンタス・クヴェダラヴィチュス氏を殺害した」と報じた。彼の遺体は数日後、彼のパートナーによってリトアニアに送還された。

 

 

  • フレデリック・ルクレール=イムホフ氏(享年32歳)、『BFMTV』― 4月2日死亡


フレデリック・ルクレール=イムホフ氏は、フランスの24時間ニュースチャンネル『BFMTV』に勤めるフランス人ビデオ・レポーターであり、5月30日にリシチャンスクで人道支援に使用されていたトラックに乗っていた際、砲弾の破片がトラックの装甲を突き破って彼の首を直撃し、死亡した。同行していた2名のジャーナリスト――記者のマキシム・ブランシュテッター氏とフィクサーのオクサナ・レウタ氏――は、軽傷を負った。ルクレール=イムホフ氏は、護送団が砲撃を受ける中、護送されて避難する民間人を取材しようとしていたところだった。6月10日にパリで開かれた彼の追悼集会には数百名の人々が参加し、RSFのクリストフ・ドロワール事務局長は「数々の政権がプロパガンダに基づく世界秩序を植え付けようとしている歴史上のこの瞬間において…彼のプロとしての献身と使命感に心からの敬意を表する」と述べた。