新型コロナウイルス感染症禍中のヘイトスピーチについて(文/広川かすみ)

KAWASAKI, JAPAN - JUNE 05: Anti-fascist and anti-racist groups with placards block several racist group from disrupting an counter-racist protest in Nakahara Peace Park, Kawasaki City, Kanagawa prefecture, Japan on June 5, 2016. A district court in Kanagawa Prefecture has issued a first-ever provisional injunction preventing an anti-Korean activist from holding a rally near the premises of a group that supports ethnic Korean people. Photo: Richard Atrero de Guzman

 

「中国人はゴミ」「シナ人は全員死んだ方がいい」「武漢ウイルスは中国から仕掛けられたバイオテロ」「外国人には補償を渡すな」「ジャパニーズ・オンリー」。

これらはすべて、ここ数ヶ月間、ツィッターなどSNSで目に飛び込んで来た書き込みだ。匿名の投稿者らだ。新型コロナウィルス感染症に関する情報収集をする時、ネットで偶然に発見してしまう。怒りや悲しみは湧いてこない。こうした人種差別的罵詈雑言には慣れ過ぎて、感情が麻痺している自分にふと気がつく。通報とブロックを淡々と繰り返す。少なくとも、毎週5件は通報している。最新のネット上ヘイトスピーチは、4月29日。「Nikkei Asia Review」の記事にぶら下がっていた。「China Virus-チャイナウィルス」との目を引く一文字――。

差別用語やヘイトスピーチはずっと存在していたが、新型コロナウィルス感染症を受けて、量とバリエーションが増えている。そして矛先が中国人に向けられて来た。それまで9割は在日朝鮮人や韓国人に対しての憎悪だった。現在、パブリック・エネミー(公的宿敵)として中国人が標的にされている。

私の家族は中華系で、幼少期は上海と埼玉で育った。帰化して名前を変える前、通った幼稚園のクラスメート達からは「中国菌」と呼ばれ、孤立していた。母にはお弁当用に上海料理のおかずを作らないよう頼み込んだ記憶もある。小学校に上がる頃には、学校のみんなに中国人であることを絶対に知られてはいけないと思っていた。子どもながらに排除の対象になることが怖かったからだ。

ここ数年、まだ「殺す」と言われていないだけましかもしれないが、SNSの普及で他民族(特に在日朝鮮人、韓国人)に対するヘイトスピーチを日常的に見かけるようになった。

コロナ以降、憎悪が増していく日本のヘイトスピーチの行方を心配している。日本ではヘイトスピーチが野放しだ。政治的指導者らに断固とした人種差別に反対する姿勢を打ち出して欲しい。

一方、米国ではネット上のヘイトスピーチに関して、大きな市民運動の波が押し寄せている。ネット上のヘイトスピーチに対して、一般市民が皆で力を合わせて発信者のアカウントを特定。さらに書き込み加害者の職場と学校を探し当てて、皆で一斉に抗議の電話を鳴らす。加害者は学生が多いので、学校を退学処分になる場合が相次いでいる。一般市民が協力し合って、差別行為をした人物を特定して晒している。日本と違って、米国ではアフリカ系米国人を侮辱する内容の書き込みが多い。

不幸中の幸いだろうか、日本では新型コロナウイルス関連の暴力事件はない。コロナ以降、米国では中国人を含めアジア人が暴力の対象になる事件が続いている。最近、ニューヨーク在住のアジア系女性が頭部に硫酸をかけられる事件が発生した。女性がゴミ出しをしていたわずかな時間に加害者の男性が隙を見て襲った。男性はまだ逮捕されていない。アジア人に対する無差別暴力が横行しているので、米国に住む私の中国系アメリカ人の友人(28)は、怖くて外に出られない状態だ。日系人も巻き込まれている。

暴力がないからと言って、安心してはいられない。ヘイトスピーチを放置してはならない。日本では政治のトップダウンで、ヘイトスピーチを抑圧する力がまだない。何をやっても責められないという空気感が加害者の中で広まってしまう。

平和な時はヘイトスピーチは特定の少数派が騒ぐだけだ。しかし、新型コロナウイルス感染症や戦争、災害が起きた非常事態では豹変する。世論が問題の原因を特定グループになすりつけ、排除しようと動く。第二次世界大戦中のヨーロッパでのホロコースト、1923年の関東大震災後に起こった朝鮮人虐殺事件のように、ヘイトスピーチから始まり大勢の犠牲者を出した事例は数多い。歴史上の悲劇を繰り返さないためにも、早めに芽をつんでいかないといけない。

 

<ヘイトスピーチという言葉はいつから?>

ヘイトスピーチという言葉は、2019年に神奈川県川崎市が「ヘイトスピーチ条例」を可決したことでより国内で周知されるきっかけとなった。しかし、日本はヘイトスピーチに関しては、先進国の中でも異例の国といえる。日本ではこの条例が可決する以前、ヘイトスピーチを取り締まる内容の条例や法律は存在しなかった。

近年のヨーロッパでは、従来の差別行為を罰する法律に加え、オンラインでのヘイトスピーチを規制する動きを見せている。

ヘイトスピーチに対する認識が他国と比べて広まらない原因のひとつとして、人種差別への自覚が足りないということがある。教育が足りないのだろうか。自分と同じような人たちだけで社会が成り立っているという幻想が存在しているからだろうか。民族的差別が生活の一部として自然に組み込まれ過ぎているのか。

日常的に帰化人ということで差別の場面に遭遇する。マンションを探す目的で不動産の事務所に入ったところ、たまたま中国語で両親と話していたのを男性スタッフに聞かれた。顔色を変えて突然、国籍証明証を求めて来た。「国籍はどちらですか? 中国人、韓国人はお断りなんだよね」と男性の声色が変わる。以前の職場でも男性上司が「日本人以外のアジア人は嫌いなんだよね」と平然と大声で話していた。ヘイトスピーチに関して声を上げようとする中国人らの腰は重い。自分の出自をカミングアウトできない人が多い。私も、自分が帰化したことを自己紹介で言えるまでに時間がかかった。

 

<そもそもヘイトスピーチとは何か?>

「コトバンク」を検索すると次のように定義されている。「憎悪に基づく差別的な言動。人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質を理由に、特定の個人や集団をおとしめ、暴力や差別をあおるような主張をすることが特徴」

人々の間に線を引き、分断させ、互いに敵対させるような言動のことである。特定のグループに所属する全員を「殴れ」「殺せ」など、具体的な暴力示唆が含まれるケースもある。

一般人がヘイトスピーチを行なう場合もあれば、より悪質なケースでは国や地域の指導者が行なう場合もある。

社会の少数派に対する偏見をあおることを目的としたヘイトスピーチは、事実無根の情報を広める行為であるデマとも密接な関係を持っている。このふたつはセットで多文化社会に生きる少数派を苦しめることが圧倒的に多い。

 

<ヘイトスピーチの悪影響>

先に述べたように、ヘイトスピーチは被害者を最悪の場合死に至らしめる。しかし、たとえターゲットとなった人々がヘイトスピーチで物理的に傷つかなくても心理的に深い傷を負い不信感を抱く。

ヘイトスピーチの対象が自分の所属するグループでなくとも、私は気分が落ち込む。日本と中国で育ち、アメリカとイギリスに留学した私には、家族のように大切に思っている友達がいる。彼ら彼女らは日本人、韓国人、中国人、アメリカ人など国籍も民族も様々だ。

自分が所属するグループが標的になっている今、自分と家族の安全が心配だ。他のOCED(経済協力開発機構)諸国と違い、日本の首脳が明確な言葉でヘイトスピーチを糾弾する姿を見たことがないからだ。国や地域のリーダーが黙認するということは、差別に加担しているということである。いつ暴力を振るわれるかわからないし、被害に遭っても誰も助けてくれない状態が恐ろしい。

 

<コロナウイルスと外国人差別>

今回、新型コロナウイルス感染症の最初の報道が中国であったため、中国人全員がウイルスを持っていると恐れられたがために必要以上に非難や誹謗中傷、暴力の対象となった。

そして行政による補償についての議論でも、日本に住む外国籍や外国ルーツの人々が差別を受けている。「福利厚生を不正受給している」「転売ヤーとして暗躍している」「税金を払わなくてもいい特権がある」というデマによって被害を被っている。それは、ほとんどが匿名のネット投稿だ。今年3月、埼玉朝鮮初中級学校幼稚部(園児41人・さいたま市)がマスク配布対象外にされた。抗議した同学校側に対して、さいたま市の職員関係者が放った一言。「朝鮮系の子どもたちにマスクあげたら転売されてしまう」。同学校に対して、電話やメールでのヘイトスピーチが悪化しているという。

新型コロナウイルス感染症の流行は、昔から日本に存在していたシノフォビア(中国恐怖症)を再び顕在化させた。インターネットでは特に中国人に対する悪質なステレオタイプを強化するような言論が目立つ。中国人に対するステレオタイプは地域によってばらつきは多少あるが、共通点として挙げられるのは不潔でマナーが悪く、文明的でないということだ。下の画像は「中国人 イメージ」とGoogle検索した際の関連検索ワードのスクリーンショットだ。まるで全員規則を守らない不埒者のようなイメージが横行しているが、私に言わせれば初対面で急に「あんたら中国人は犬とかコウモリとか食べるんだってね。気持ち悪い!」とよく考えもせず決めつけだけで高圧的に話しかけてくる人達のマナー教育の方がよっぽど心配である。

 

<ヘイトで病気は防げない>

目に見えない敵は恐ろしい。感染のスピードも速い。ワクチンがまだ存在せず、治療法も確立されていない。

自分の安全が脅かされれば恐怖のあまりパニックに陥ることは自然なことだ。本当に新型コロナウイルス感染症をうつされるのが怖いのなら、接近して身体的暴力を振るうだろうか?何故たまたま近くに居合わせた「感染源になり得そうだ」と自身が判断した人間に、飛沫を浴びそうな距離まで近づいて殴ったり刺したりするのか?ここまで感染予防の常識と相反する行為の裏には「新型コロナウイルス感染症が怖い」という建前以上に、嫌いな中国人を組織的に排除したいという本音があることの証左ではないか。

当然だが、中国人も人間である。同じ人間である以上、彼らだけが新型コロナウイルスを媒介できると信じることは、たとえ感染症の専門知識がない人から見てもロジックに反していると言える。

世界が共に危機に直面している今こそ、民族、宗教や国籍の垣根を乗り越えてお互い助け合う時ではないのか。

幸い、ヘイトに対する風向きは変わりつつある。「差別・排外主義に反対する連絡会」が4月19日に『4.19 コロナに乗じたヘイトをやめろ!4.19緊急アクション』を呼びかけ、新型コロナウイルス感染症の流行に便乗した差別を糾弾した。自ら感染症のリスクを冒して、身を挺して差別にノーという姿勢を見せてくださった参加者には頭が上がらない。

私も日本に暮らす見えない少数派として、あらゆる差別に反対する一人の人間として、ヘイトやそれを容認する行為には厳しく声を上げ続けたい。

 

(photo by Richard Atrero de Guzman/JFJN)