
取材・文/瀬川牧子(JFJN代表/『国境なき記者団』日本特派員)
フィリピン・ドゥトルテ大統領の麻薬撲滅戦争で、殺害された麻薬犯罪者の数は6000人以上。その多くが最貧地区の出身だ。そして、フィリピンでは今、この麻薬撲滅戦争によって新たに “戦争孤児”と“未亡人”の問題が発生している。しかし、彼らを援助するボランティアネットワークはまだできていない。
「孤児らは麻薬犯罪者の子供たち。社会的にタブーな存在。だから誰も積極的に関わりを持ちたくない。でも彼らには支援が必要。日本メディアに積極的に孤児たちのことを報道してもらいたい」
通訳のカルロ・フェルメンデスさんはそう語った。
取材中、麻薬密売人の父を殺害されたばかりのマダリーン・ピレメンデスさん(13歳)に出会った。彼女は“まだ幸運な孤児”といえる。それは面倒を見てくれる祖父がいるからだ。
「父は優しい人でした」
と葬儀中に大声で泣きじゃくるマダリーンさん。
「息子は麻薬の密売なんかしていない。無実なのに殺されたんだ」
と殺害された息子の父親は、必死に無罪を主張していた。
マニラ最貧困街のひとつ、サント・ポーロ地区。ここでは多くの子供たちが段ボールの中で生活をしている。大人は列車の線路の上にトロッコを置き、乗客を運ぶ違法な「トローリ運転手」ぐらいの仕事しかない。
この地区では、麻薬戦争で射殺される人が後を絶たない。
「昨日の夜も2人の麻薬中毒者が殺されたわ」
と語るのはカマビット・マリベルさん(34歳)。カマビットさんは8人の子供の母親で、現在、9人目を妊娠中(4カ月)だ。
夫のテリーさん(当時33歳)は、2016年8月に愛人のマンションの一室で殺害された。6人の警察官がマンションの部屋を訪れ、「麻薬密売人」として7発の弾丸で撃たれて死んだ。カマビットさんは「夫は密売人でない。これは愛人が陥れた罠だ」と夫の無罪を主張した。愛人の女性は密売人だった。警察の襲撃を知ったその愛人は、携帯電話で話をするふりをして部屋の外に出た時に、取っていた夫が警察の襲撃を受けたのだという。
夫の死体の胸の上には「Do not follow him. He is a Pusher- 彼の後についていかないで。彼は麻薬密売人だ!」というカードが置かれていた。
「彼は絶対に麻薬密売人でない」
カマビットさんは何度も無罪を訴える。
「麻薬は使用していたのか?」
という質問には
「夫はずっと前からメタンフェタミンを使用していた」
と答える。
貧困街の同地区では、睡眠時間を減らし、長時間労働をして少しでも多く稼ぐためにメタンフェタミンを使用するケースが多いという。
殺される前のテリーさんの賃金は、14時間働いて480 ペソ(日本円で1000円程度)だった。
「夫は本当に優しい人だった。物静かで、子煩悩。よく家族のためにご飯を作ってくれた」
とカマビットさん。彼女の職業はマニュキュア塗りで、1日の稼ぎは100〜150ペソ(200〜300円程度)。お客さんが来ない日もあるので、一週間の売り上げは、平均で500ペソ(約1000円)程度だ。
父親がいなくなって、1日3食食べられる日が少なくなった。子供たちは1日2食。マリオ君(7)は現在、肺炎を起こしていて治療が必要だが、病院に行くお金がない。栄養失調と不衛生な環境が原因だ。日本の平均的な7歳児と比べると一回り小さく、4、5歳児にしか見えない。
肺が炎症を起こしてか胸が大きく腫れている。その様子をマニラ市内の小児科医に見せると「“肺結核”です。フィリピンでは一般的な子供の病気です」と答えた。
ドゥテルテ大統領は「麻薬戦争で強硬手段を取るのは、次世代の子供たちの未来のためだ」と主張している。「フィリピンの次世代の子供たちのため」ならば、麻薬撲滅戦争で親を失った孤児たちに対するケアも必要だろう。
カマビットさんはドゥテルテ大統領に対して、静かに怒っている。
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