海岸から数100㍍離れた場所にある浪江町の小学校/2016年5月25日
5月24日(1日目)警戒区域・大熊町などを取材
JR常磐線「いわき」駅に到着し、福島警戒区域取材に出発するカリフォルニア大学バークレー校大学院生ら/2016年5月24日
福島第一原発から約5キロ離れた大熊町の旧宿舎/2016年5月24日
福島第一原発から約5㌔離れた大熊町の商店街一角。震災当時のまま。時が止まっている/2016年5月24日
福島第一原発から約5キロ離れた大熊町のとある旧宿舎。建設会社の宿舎であろうと思われる/2016年5月24日
福島第一原発から約5㌔離れた大熊町の商店街にて。県外からも警察官がパトロールに訪れている。巡回中の警察官にインタビューをする大学院生ら/2016年5月24日
福島第一原発から約5㌔離れた大熊町の商店街付近にあるファミリーマート。外部線量だけでも毎時3マイクロ以上あるようだ/2016年5月24日
警戒区域の大熊町(原発から約5㌔)を取材後、スクリーニングテストを受ける大学院生ら。検査の結果、誰も汚染はされていないことが判明/2016年5月24日
福島第一原発から約15㌔離れた楢葉町に昨年9月帰還した草野さんご夫妻。夫の功さんは84歳、妻の八重子さんは76歳/2016年5月24日
5月25日(2日目) 帰宅困難地域・浪江町などを取材
津波により地区全体が壊滅状態になった浪江町請戸地区を訪問する大学院生ら/2016年5月25日
海岸から数100㍍の場所にある浪江町の小学校。津波が一階まで浸透した/2016年5月25日
海岸から数100㍍も離れていない浪江町請戸地区の小学校。当時のまま残っている/2016年5月25日
海岸から数100㍍も離れていない浪江町請戸地区の小学校。津波が一階全体を浸水した。体育館の様子/2016年5月25日
帰宅困難地区の中学校体育館。2011年3月14日原発事故後の第一次避難所となった場所。当時の被災者の寝袋、靴、新聞などそのまま放置されている/2016年5月25日
帰宅困難区域の中学校体育館。震災直後、第一次避難所として使用された。住民の寝具、マットレスなどそのまま放置された状態だ。2016年5月25日
帰宅困難区域の小学校校庭。除染ゴミがブルーシートで覆われている/2016年5月25日
福島第一原発から約10㌔離れた浪江町の商店街。浪江町は来年春までに住民の帰還を予定している。2016年5月25日
福島第一原発から約10㌔離れた浪江町の商店街。2016年5月25日
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